日本語学校に求められる、外国人学習者の自立を支える日本語とは
そのため、日本語教育においても、単に会話ができることだけでなく、情報を得る、確認する、相談する、対話するための日本語を育てる視点が必要になると考えます。
これからの日本語教育に欠かせない「もう一つの視点」
日本で生活する中では、契約、住居、学校生活、アルバイト、医療、行政手続など、さまざまな場面で「分からないこと」「確認したいこと」「相談したいこと」が生じます。
そのときに必要なのは、単に日本語であいさつができる力だけではありません。
- 学校からのお知らせを読む。
- 給与明細や契約書の分からない点を確認する。
- どこに相談できるのかを調べる。
- 自分の状況を説明する。
- すぐに返事をせず、確認してから答える。
- 必要な場合には、書面での説明や第三者への相談を求める。
こうした力も、日本社会で自立して生活していくためには重要です。
対立ではなく「確認・相談・対話」のための日本語
このような日本語は、相手と対立するための日本語ではありません。また、法律用語や行政用語を暗記するための日本語でもありません。
むしろ、困ったときに黙って我慢するのでもなく、感情的に衝突するのでもなく、必要な情報を得て、事実を整理し、相手に配慮しながら、確認・相談・対話をするための日本語です。
大切なのは、自分の権利だけを一方的に主張することではなく、自分と相手の権利・利益を尊重しながら、冷静に確認し、相談し、対話することです。
分野を横断して生きる、社会的存在としての外国人学習者
外国人学習者は、単に「留学生」や「労働者」として一面的に存在しているわけではありません。学び、働き、生活し、地域社会の中で人と関わる一人の社会的存在として日本で暮らしています。日本語学校で学ぶ学生も、教室の中だけで生活しているわけではありません。アルバイトをし、住居で生活し、病院へ行き、地域社会で人と関わり、進学や就職に向かっていきます。
その過程で、分からないことや困ったことがあったときに、何も言えずに我慢してしまうのか。それとも、必要な情報を得て、確認し、相談し、支援につながることができるのか。この違いは非常に大きいと思います。
令和6年4月から始まった認定日本語教育機関制度では、日本語教育は「留学」「就労」「生活」といった学習目的に応じて整理されています。しかし、実際の外国人の生活は、これらの分野にきれいに分かれるものではありません。
留学生であってもアルバイトをします。就労者であっても地域で生活します。生活者であっても、学校、職場、病院、役所、住宅契約など、さまざまな場面で日本語を使います。
その意味で、外国人学習者が日本社会で自立して生活していくためには、「留学」「就労」「生活」を横断する日本語能力も必要になります。
私は、日本語教育と法務の両方に関わる立場から、このような日本語教育を、「権利のための日本語」という考え方として整理できるのではないかと考えています。
もちろん、日本語教育と言語権、日本語学習の権利、多文化共生、外国人支援をめぐる議論は、これまでも積み重ねられてきました。私が考えている「権利のための日本語」も、そうした問題意識と無関係ではありません。
ただ、法務の視点と日本語習得の視点をつなぎ、外国人学習者が必要な情報を得て、確認し、相談し、必要な場合には自分の権利を適切に主張するための日本語として整理することには、実務上の意味があるのではないかと考えています。
教育現場で具体化を模索しながら
これは、今後さらに教育実践や制度対応の中で深めていくべき考え方だと考えています。
なお、私は現在、日本語教育機関の運営にも役員として関わっています。その現場で教育課程のあり方を考える中でも、外国人学習者が日本社会で必要な情報を得て、確認し、相談し、対話できる力をどのように育てるかは、重要な課題だと感じています。
机上の制度論だけではなく、日本語教育の現場で実際にどのような力が必要になるのかを考えながら、この視点を現在、整理しているところです。
インターナショナル行政書士事務所では、認定日本語教育機関の制度対応や教育課程の設計支援において、単に基準を満たすための書類作成にとどまらず、学校がどのような理念を持ち、どのような学習者を育てようとしているのかを大切にした支援を行っていきたいと考えています。
今後も、日本語教育と法務の接点から、外国人学習者が日本社会で必要な情報を得て、内容を理解し、分からない点を確認し、困ったときに相談し、他者と対話しながら生活していくための日本語教育について、整理し、発信していきたいと思います。
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