「権利のための日本語」試論の現在地
1 外国人が生活の中で直面する不利益
日本で暮らす外国人は、住まいを探し、職場で働き、学校で学び、医療機関や行政機関を利用するなど、さまざまな場面で社会との関わりを築いています。その過程では、外国人であることを理由に不利益を受けたり、納得できない取扱いに直面したりすることがあります。
法務省も、外国人であることを理由とした就職差別や、アパート・マンションへの入居拒否などを、人権問題として取り上げています。住居や仕事に関わるこうした取扱いは、本人の生活の基盤に影響する問題です。
また、契約の条件が十分に説明されない、学校や職場の規則について理由を尋ねにくい、受けた説明が正しいのか確かめられない、といった場面もあります。不利益を受けても、何が起きたのかを説明し、異議や希望を伝え、必要な相談先につながることに困難が生じる場合があります。
これらを、本人の日本語能力だけの問題として捉えることはできません。差別的な取扱い、説明や支援の不足、相手との力関係、相談先の利用条件など、受入れ側や制度のあり方が関わっています。日本語が話せるようになれば、差別や不適切な取扱いが当然になくなるわけでもありません。
一方で、本人が既に疑問や希望を持ち、母語では説明できても、日本語を使う場面ではそれを十分に伝えられないこともあります。必要な情報を理解し、理由を確かめ、対応を求め、相談・支援を利用するための言語的な手段が制約される場合があるのです。
こうした状況に対して、日本語教育は、どのような役割を果たせるでしょうか。
2 なぜ「権利のための日本語」が必要なのか
外国人の権利・利益を守るためには、差別や不適切な取扱いをなくし、必要な情報や相談・支援を利用できる仕組みを整えることが欠かせません。適切な説明、多言語情報、通訳、利用しやすい相談体制などは、本人の日本語の習得状況にかかわらず必要です。
同時に、制度や相談窓口が存在することと、本人が実際にそれを利用できることは、同じではありません。必要に応じて利用しようとする本人の意思と、情報を理解し、自分の状況や希望を伝え、相談先などとやり取りするための能力を支えることも重要です。
ただし、問題を解決できない原因を、本人の意識や日本語能力に求めるという意味ではありません。利用できる言語、時間、費用、安全性、相手との力関係など、本人の学習だけでは変えられない条件があります。
制度や支援の整備と、本人が行動するための手段を広げることは、どちらか一方で代替できるものではありません。
また、外国人は、支援を受けたり、日本社会への適応を求められたりするだけの存在ではありません。自分に関わる取扱いについて理由を問い、必要な説明や対応を求める権利主体でもあります。
理由を確かめ、疑問や異議を示すことには、不利益を避けるだけでなく、自分の意思や利益も尊重されるべきものとして扱い、相手にもその尊重を求める意味があります。そのための日本語を学ぶことは、本人が権利主体として関わるための手段を広げます。
もちろん、直接主張したかどうかによって、人格の尊重が左右されるわけではありません。どのように対応するかは、本人の意思と状況に応じて選ばれるべきものです。
私は、権利・利益を守るための行為とその過程を言語面から支える日本語教育を、「権利のための日本語」として構想しています。
以前のコラム「なぜ今、『権利のための日本語』が必要なのか」では、その必要性を紹介しました。その後、概念の試論の改訂を重ね、教育内容、評価、実施条件について検討を進めてきました。本記事では、学校運営者、日本語教師、外国人支援に関わる方々に向けて、その現在の考え方を紹介します。
3 「外国人には貸せない」と入居を断られた場面を例に
ある外国人が、住まいを探す中で、貸主から「外国人の方には貸せません」と入居の申込みを断られたとします。ここでは、外国人であることを理由に一律に入居を断られる、という架空の場面を考えます。
この場面では、外国人という属性を理由に、住まいを確保する機会から排除されることが問題となっています。ただ、通常の日本語が上手くなれば、それだけで解消できるという問題ではありません。
その上で、本人が対応を望む場合に、どのような日本語を使えるかを考えてみます。例えば、相手の返答を踏まえながら、次のように伝え方を変えていくことが考えられます。
まずは穏やかに、具体的な理由を尋ねる
貸主:「外国人の方にはお貸ししていないんです。」
本人:「私は、この部屋に住みたいと思っています。何か心配な点があるのでしょうか。よろしければ、教えていただけますか。」
まず、自分の希望を伝え、相手が何を理由としているのかを尋ねます。具体的な事情が分かった場合には、その内容を確かめるやり取りへ進むこともできます。
一律の方針だと言われたら、個別の検討を求める
貸主:「個別の事情ではなく、外国人の方には貸さない方針なんです。」
本人:「外国人ということだけで一律に断らず、私の申込みの内容を見て、検討していただけませんか。」
ここでは、国籍による一律の判断を見直し、自分の申込みを個別に検討してほしいという希望を伝えています。
それでも断られたら、自分の立場と求める対応を明確にする
貸主:「方針ですので、個別に検討することはできません。」
本人:「外国人であるという理由だけで断られることには、納得できません。私の申込みの内容を確認した上で、判断を見直していただきたいです。」
前の言い方よりも、納得できない点と、相手に求める対応をはっきり示しています。自分の立場を明確に伝えることも、アサーティブな自己表現の一つです。
話合いを終え、別の対応へ切り替えることもできる
相手が応じず、その場でやり取りを続けても難しいと考えた場合には、話合いを終えることもできます。
本人:「今日はここまでにします。いただいた説明を整理して、今後の対応を考えます。」
その後、いつ、誰から、どのような説明を受けたのかを記録・整理し、相談先に経緯と希望を伝えることも考えられます。相談する予定を、その場で相手に告げる必要はありません。
以上は、相手の返答に応じて、自分の希望や、納得できない点、求める対応を、少しずつ明確にしていく会話の例です。必ずこの順序で進めたり、言い方を強め続けたりすることを求めるものではありません。本人の意思、安全、相手との関係等に応じて、初めから第三者に相談する、途中でやり取りを終える、支援者を介して対応するといった選択もできます。
ここで重視するのは、本人が個別の違法性や法的責任を判断できることではありません。何を言われ、何を疑問とし、どのような対応を望んでいるのかを整理し、必要な確認・相談・異議表明等を行うための日本語です。
差別的な取扱いを解消する責任を、本人の日本語学習や直接交渉に負わせるものではありません。その責任と区別した上で、本人が取り得る対応の手段を広げることを目指します。
4 「伝える」前後にも、支えるべき過程がある
権利・利益を守る行為は、相手に一度要望を伝えることだけではありません。
不利益を受けても、それをどのような問題として考えればよいか分からないことがあります。異議を伝えたいと思っても、その方法や言葉が見つからないことがあります。相談したくても、何を説明すればよいか整理できない場合や、相談後に必要な対応が得られない場合もあります。
試論では、こうした行為と困難を検討するため、次の八つの局面を取り上げています。
- 不利益や違和感に気づく
- 権利・公正に関わる問題として検討する
- 主張・相談を自分にも可能な選択肢と認める
- 何を求め、どう動くかを選ぶ
- 情報・記録・支援を確保する
- 伝え、やり取りする
- 応答が不十分な場合に対応する
- 解決・履行を確認する
これは、全員が順番に進むべき手順ではありません。初めから相談することも、相手の説明を聞いて考え直すことも、直接主張せずに支援者を介することもあります。当事者間の確認や訂正によって、専門家や相談機関、調停・裁判等を利用せずに問題が解消する場合も含みます。
また、「相手に質問や異議を伝えてよいか迷っていること」「伝えるための日本語が見つからないこと」「利用できる相談経路がないこと」は、同じ問題ではありません。
試論では、本人の認識・判断・意思形成、行為の遂行、制度・支援・関係性の条件という三つの側面を区別しています。八つの局面が行為や困難を検討するための整理であるのに対し、三つの側面は、その困難の性質を区別するための視点です。
日本語教育が支えられる部分を考えるとともに、本人の学習だけでは整えられない条件を見落とさないことを重視しています。
5 「権利のための日本語」で何を学ぶのか
私が構想する「権利のための日本語」は、日本語を母語としない人が、自らの権利・利益に関わる問題に対応するための、言語的・実践的な手段を身につけることを目指す日本語教育です。
本人の意思と状況に応じて、確認・相談・正当な権利主張等の対応を考え、選び、遂行し、具体的な問題の調整・解決に関わることを支えます。
概念の対象を国籍で限定するものではありませんが、試論では主に、日本で生活し、学び、働く外国人学習者の場面を検討しています。また、ここでいう権利・利益は、法的な権利を中核とし、それ以外の保護されるべき利益も含みます。
日本語教育には、これまでも生活上の課題解決、権利保障、自己表現、社会参加を重視する研究や実践の蓄積があります。この構想は、そうした成果を踏まえ、関連する言語活動を権利・利益を守るという教育目的から選び直し、必要な内容を補い、関連づけようとするものです。
教育内容は、次の五つの観点から整理しています。ここでは、住居に関わる場面を中心に活動例を示します。
| 教育内容 | 学習する言語活動の例 |
|---|---|
| 権利義務と制度を知るための日本語 | 募集案内、入居条件、相談窓口の案内等から必要な情報を読み取り、分からない点を把握する。 |
| 確認するための日本語 | 入居を断られた理由や条件を尋ね、受けた説明の意味を確かめる。 |
| 判断を保留し、安全を確保し、記録するための日本語 | 確認してから返答したいことや、やり取りを中断したいことを伝え、日時・相手・説明内容等を記録・整理する。 |
| 相談・支援・救済につながるための日本語 | 入居を断られた経緯、困っている点、希望する対応を相談先に説明し、支援内容や次の手順を確かめる。 |
| 正当な権利を主張するための日本語 | 外国人であることを理由とする取扱いへの異議を伝え、申込みの再検討など、求める対応を具体的に述べる。 |
五つの観点は、授業内容を考えるための整理であり、前節の八つの局面と一対一で対応するものではありません。同じ確認の表現が、最初に理由を尋ねるときにも、相談先の説明を確かめるときにも、約束された対応の実行を確認するときにも使われます。固定された授業順序を示すものでもありません。
授業では、架空の募集案内や説明メモ、相談先の案内などを用い、理由を尋ねる会話、説明内容の記録、相談メモ、異議や再検討の要望を伝える文などを作り、やり取りを練習することが考えられます。
その際、日本語だけで考えることを求める必要はありません。本人が既に持つ知識・経験や母語等を生かし、状況や希望を整理した上で、必要な日本語を学ぶことができます。
なお、「正当な権利主張」は、本人が要求の法的な正当性をあらかじめ確定できる場合だけを指すものではありません。分からない場合にも、確認や相談をしながら異議や要望を伝えられることを重視します。他方で、あらゆる希望が法的な権利になるという意味でもありません。
6 法律知識や「主張の強さ」を評価するのではない
評価するのは、本人が選んだ対応を、日本語でどのように遂行できるかです。
入居拒否の例なら、拒否された理由を具体的に尋ねられるか、誰からどのような説明を受けたのかを整理して伝えられるか、相談先に状況や希望を説明できるか、といった点を見ます。異議や要望を伝える課題では、何を問題と考え、どのような対応を求めているのかが相手に伝わるかを見ます。
直接主張したことを理由に加点したり、主張しなかったことを理由に低く評価したりはしません。教師と同じ考えを示すことや、実際に入居できたことも、日本語能力の得点にはしません。相手の判断や対応によって結果が左右されるからです。
また、沈黙や非主張だけから、本人が納得している、能力や意識が不足している、自由に選んだ、と決めつけることも避けます。日本語で伝えにくい場合と、伝えられても相手との関係や生活への影響を心配している場合とでは、必要な支援が異なります。
この構想では、法的知識の学習が重要となることを認めつつ、その教授・習得自体を、日本語教育の教育内容・学習目標・評価対象には含めません。
例えば、資料に書かれた入居条件や相談方法を読み取り、不明点を尋ねる日本語を学ぶことと、法的な権利の成立要件や、その事案への当てはめを学ぶことは区別します。この役割分担は、知識が初歩的か高度かという難度で区切るものではありません。
日本語教育は、必要な情報や法的知識の学習、相談・支援につながることを言語面から支えます。法的知識の学習や個別の法的判断については、法教育や専門家等による説明・相談との役割分担を考えます。ただし、教材に含まれる制度情報の出所や更新状況を確かめ、正確性を確認することは必要です。
また、この構想は、自分も相手も尊重する自己表現という、アサーションの考え方を参考にしています。本人が疑問や希望を表現してよいことと、表現するかどうかを自分で選べることの両方を重視します。
安全や相手との関係を踏まえ、返答を保留する、第三者に相談する、直接は主張しないという選択も含めて考えます。その一方で、必要な異議や要望を伝え、正当な権利を主張するための日本語も、教育内容の中心的な選択肢として残します。
権利主張を義務づけないことは、権利主張という選択肢を教育から外すことを意味しません。
7 学校自身が、確認や異議を受け止められるか
試論では、この教育を取り入れる際の条件として、教材や授業方法だけでなく、学校側の姿勢と対応体制も検討しています。
「分からなければ確認してよい」「必要なら理由を尋ねてよい」「異議や要望を伝えてよい」と教えるのであれば、学校自身も、そのような問いを向けられる可能性を受け入れる必要があります。
生徒の要求をすべて認めるという意味ではありません。誤解があれば説明し、規則や対応に合理的な理由があれば、その理由を示すことができます。その上で、質問や異議を受け止め、学校自身の説明や対応を見直す必要がないかも考えます。
大切なのは、質問や異議表明それ自体を、直ちに「反抗」や「わがまま」として扱わないことです。発音や文法、説明の順序に不自然さがあることだけで内容まで軽視せず、何を疑問とし、何を求めているのかを確かめる対応も重要です。
また、実際の問題が授業中に表面化した場合に、担当教員一人に法的判断や相談対応の責任を負わせる設計にはできません。校内の担当者との分担や、外部の専門的支援につなぐ方法を、組織として考えておく必要があります。
学校自身が問題の当事者となる場合もあります。生徒や教員が外部に相談する際に、学校の事前承認を条件とせず、中立的な相談先につながれる経路も重要です。
相談先は、名称や連絡先を示すだけでは十分ではありません。利用できる言語、時間、費用、必要な手続、秘密保持、問題の相手からの独立性などを確かめ、実際に利用できる形で案内することが求められます。
学校が関与する支援では、紹介したことだけで対応が完了したとせず、本人の意思・同意、安全、秘密保持に配慮しながら、必要な応答や対応が得られているかを誰がどの範囲で確認するかも検討します。
授業では、架空化・一般化した場面を用い、個人的な被害経験を話すことを求めません。現実の個別問題への対応と授業を切り分け、差し迫った危険がある場合には、安全の確保を優先します。
8 社会への適応だけでなく、共につくるために
自分に関わる取扱いについて理由を問い、必要な説明や対応を求めることは、その人自身の権利・利益を守る行為です。同時に、学校や職場、地域社会の中で、説明や慣行を見直すきっかけになることも考えられます。
試論では、こうして他者との具体的な権利義務をめぐる調整に関わることを、既存の社会への適応にとどまらず、その社会を共につくることの一つの形として捉えています。ただし、社会を変える責任を学習者に負わせるものではありません。
「権利のための日本語」は、現時点では理論的な提案です。完成した教育モデルでも、教育効果が実証された方法でもありません。
どのような学習者・場面で必要性が高いのか。教材や課題は役に立つのか。学習目標や評価は妥当か。授業でできたことが実生活でもできるのか。安全に取り入れるために、教育機関にはどのような条件が必要か。今後の実践と検証を通じて、確かめるべき課題が残っています。
日本語を学ぶことや、自分で主張することを、権利保障の条件にしてはなりません。その一方で、本人が権利主体として行動するための手段を広げることには、日本語教育が貢献できる余地があります。
この可能性を、教育機関、教師、支援者、専門職、研究者の方々とともに、引き続き検討していきたいと考えています。
本記事の基礎となる試論・全文のご案内
齋藤正和「『権利のための日本語』という概念の試論――多文化共創社会における権利実現・アサーション・法的保護へのアクセス」暫定試論Ver.7.0.10(2026年10月21日・著者確認用改稿案)。
試論の全文は、以下のリンクからご覧いただけます。公開版の版番号・日付は、リンク先をご確認ください。
参考情報
- 法務省「啓発活動強調事項」
※本記事は、上記試論の考え方を紹介するものです。個別の事案について法的判断を示すものではありません。紹介した教育内容・評価・実施条件は今後の検証を要する提案であり、法令上の義務や認定申請上の必須要件として示すものではありません。
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